小公女セーラ

【アニメ / 1985年】

金持ちの娘のセーラが寄宿学校に身を寄せたとたん富豪だった父親が借金を残して亡くなり貧乏になったセーラが以降数十話分の時間をかけて寄宿学校の先生や生徒たちから虐げられ続ける話。


【よかったところ】

・不憫な境遇のセーラを支える周りの人々のやさしさに胸を打たれた。つらいときやさしくされると人間涙が出るよな。

特にどんなときでも同じメイドとしてセーラを支え続けたベッキーの存在が大きかった。冬の水仕事で手がかじかんでもいつでも前向きに元気でセーラになにかあれば自分のことよりも心を砕き、明るく純真で愛嬌があってすばらしいキャラクター。声優さんの演技もとても合っていたと思う。やさしく献身的で純朴さがかわいい。ベッキーが主人公でいいくらい好き。

次点でセーラの元従者として気を利かせるピーターもよかった。下町で顔が利くのでなにかあればピーターが助けになってくれる。目端が利き頭がよく、彼の機転でセーラが助かる場面が何度も見受けられた。(でもセーラも何かあるたびピーターに頼りすぎでは?自分で解決すべきでは?とはすこし思った)トンチのようなやりとりも多々ある癒しキャラ。


・雨の中お使いに行かせる、ご飯を食べさせない、あらゆる場面で恥をかかせようとするなどセーラに対する嫌がらせのバリエーションが豊富で感心した。昼ドラが好きなタイプの人間には刺さりやすそうに思った。


・当時のイギリスの暮らしや習慣が丁寧に描かれているのが興味深い。途中のハロウィンのシーンでは海外固有の遊びがいくつも出てくるのでおもしろかった。

・いじわるなキャラクターが本当にいじわるそうに描かれててすごいと思った。(小並感)


【悪かったところ】

・主人公のセーラが鼻につく。年齢や育ちのせいもあるだろうがお嬢さま時代は他者に対する無神経さや純真ゆえのワガママが目立ったように感じた。セーラをいじめるミンチン先生ももちろん悪いがセーラの気が利かなかった場面もあったと思う。貧乏になってからは「アタシ、最終話で幸福になるのが約束されてるからなんとか耐えてみせるわ……!」というオーラがすごかった。これに関してはわたし個人の印象だけど。

作中でも主人公の成長は描かれていたけどもうすこしたくましくなるくだりがきちんと見られたらもっとよかったかな。イジメの描写に尺をとりすぎた感じ。


この世は金が全てというのがお話のテーマに見えてしまう点。これはもう絶対的にダメ。紆余曲折あった結果セーラは物語終盤でふたたび金持ちに返り咲きそれまで自分をいじめてきた学院の人々はセーラにひれ伏すんだけど、もしセーラが貧乏のままだったら果たして同じように人々はセーラを扱っただろうか??ーーおそらくそれまでのとおりに貧しい下働きの少女としていじめ続けたと思う。

全体を通して眺めてみると、セーラはお金を失ったからいじめられるようになって、お金持ちにもどったからいじめられなくなったんだよね。これってやっぱりお金がすべてって言いたいように感じてしまう。

金持ちでもそうでなくても真面目でやさしく生きていればいいことがあるというテーマを描きたかったのかもしれないが、セーラが金持ちにもどったのは本人が努力をして成功したとかではなく、ただ単に運がよかったからなので、それは説得力としては弱いと思う。個人的に一番もやっとした点。子ども向けのアニメとしては不適切に感じた。


・ラビニアがただ嫌なヤツで終わってしまったのは残念だった。主人公を目の敵にする元クラスメイトのお嬢さまラビニア。もともとクラスの中心であったところをセーラにポジションを奪われたことで逆恨み執拗に嫌がらせをするキャラクター。


他作品の似たようなキャラクターとして、「明日のナージャ」のローズマリーがしばしば挙げられている。ローズマリーは自分が主人公のナージャだと嘘をつきナージャの実母に取り入って貴族の生活を楽しみナージャを母親から遠ざける悪辣な女だが、しかし最後のシーンでは潔く自分からお話を退場している。そのときの言い様も、「もう貴族の生活には飽きた」「アタシはもっとビッグになる」的開き直りをみせている。わたしはローズマリーに悪役として一本筋の通ったものを感じた。(余談だけど同じように狡猾な悪女だとベルサイユのばらに出てくるジャンヌも同じジャンルだと思う)(悪女大好きレビュアーか??)


話をラビニアにもどすと、ラビニアもたしかにセーラが金持ちになってもフンと笑って自分は屈しない態度を見せるのだが、どうもそのあたりの演出が弱いように思う。ローズマリーばりの居直りをブッ込まれるかあるいはもっと違ったキャラづけでもないと悪役として魅力を感じるのはすこし厳しい。途中で一回親にたたかれたくらいで大した罰だって受けていないし、悪役が成敗されるカタルシスも感じられない。どうにも中途半端な存在だと思う。比較して下げるのは悪いけどもローズマリーとくらべると小物感がただよってしまう印象を受けた。


全編通してただただ嫌なヤツなので、たとえば途中で好きな男の子ができていつもとは違う本気でしおらしい顔をみせるとか、そういう変わった角度から描かれていた方がキャラの魅力が立ったのではないかと思う。なんか見る気になれなくてラビニア意地悪回だなと思った回は何度か飛ばしちゃったもんな。

同じように意地悪なミンチン先生でさえ、幼少時の掘り下げがあったりラビニアが本気でヤバいことしようとしたときにはセーラをおもんぱかるそぶりを見せたりとまだ丁寧に描かれてたよね。いやなんかもうちょっとあったでしょラビニアはマジで……。


・使用人の夫婦が理不尽でムカつく。

これはもう単純にムカつく。セーラをいじめる側のキャラとしても結構ぶっちぎりのクズだと思う。ラビニアもそうなんだけどこの2人も本当にただただ嫌なヤツらなんだよね。


嫌なヤツってべつにお話の中にいてもいいと思うんだけど、嫌なヤツだけどどこか愛嬌があって憎めないとか、嫌なヤツだけど嫌なヤツなりに一本筋は通しているとか、あるいは嫌なことをしたからハチャメチャしっぺ返しに遭うとか、どれかしらの要素が欲しい。多分わたしがラビニアに思うこともこれなんですね。


上の話とすこし重複してしまうんだけども、作中でラビニアと並んで視聴者のヘイトを集めまくったであろう院長のミンチン先生、自分としてはまだマシな部類だと感じている。なぜならミンチン先生はまだ嫌なヤツ以外の部分をちゃんと描かれているし、終盤ではしっかり自分の行いの報いを受けるシーンも用意されているから。

たしかにセーラにやったことの数々はひどいんだけども、ラビニアがセーラを自分のメイドにして貶めようとしたときはさすがに申し訳なさそうな顔をするし、たまに妹に説得されるとかんたんに手のひらを返すちょっとおバカなところもあるし、セーラに恥をかかされてブチキレたり、なんというか人格がきちんと説明されてるんだよね。ミンチンはちょっとお金と権力に弱いだけなんや、ちょっとではないけども……。でもそれも早くに親を亡くして幼かった妹を育てないといけなかったからそうなったという設定がきちんとあるので情状酌量の余地はやっぱりギリギリなくもないと思う。


【そのほか】

・子どもがこのアニメを見て、いじめは良くないものだと認識することで実社会でのいじめが減るように作られているのではないかという感想をレビューサイトで見た。これについてはなるほどと思った。(でも、最終的にいじめっ子に対して罰がくだっていないのは、その視点で考えるとダメなんではないかなあ)

・次回予告のセリフが「次回、『新学期のいじわる』お楽しみに♪」「次回、『消えかけるいのち』ご期待ください!」は笑ってしまった。どう楽しみにご期待せいっちゅうんじゃい。セーラの言い方が明るくハキハキしてるのもヤバイね。これはウケました。


【総評】

終わり方に関してはもやっとするものが残ったが陰鬱な気分になりたいときにはいい作品。なんだかんだ日本人はおしん系の貧しきを耐えしのぶ作品好きな人多いよね。

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